2014/10/02

初心者と経験者

 僕が初めてびよらを手にしたのは平成元年。大学入学を機に、まったく新しいことを始めようと思い立った。俗に言う“初心者”としてのスタートである。

 同期のばよりんは経験者のツワモノ揃い。同期でありながら、一種の畏怖を覚えていたものだ。ちまちまとボーイング練習にいそしむそばで、彼らのうちの1人は当時のオケの演目だったブルッフのコンチェルトを颯爽と弾き倒している。…早い話が、劣等感を禁じ得なかったのだ。

 多くのアマオケ・学生オケの中にも、同じような感覚の初心者奏者がいると思う。しかし僕は、あえて言う。引け目を感じることは、まったくない。

 プロであることとアマチュアであること。スタートが早いか否か。現状の技術レベルの優劣。…こういった視点での比較は、音楽に親しむ上であまり重要なことではない。大切なのは自分だ。どこかに目標を置きまい進することと、比較してマイナス感情にさいなまれることは、まったくもって違う。

 確かにすべての楽器奏者にとって、他の熟練者と比較した際の劣等感は多少なりともあるだろう。プロ・アマ問わずである。世界最高の奏者と称えられていても、時空を超えた過去の達人に嫉妬するかも知れない。けれども繰り返し言う。他者との比較に意味はない。大切なのは自分自身であり、抱いた劣等感を逆にモチベーションの高さに替えられるか否か?そこが重要である。

 さらには、それ以上に忘れてはならないことがある。我々アマチュア・オーケストラの奏者は、ソリストではないのだ。オーケストラという組織の中のイチ奏者である。演奏技術の高さもさることながら、参画意識や協調性といったものの高低も、それと同等もしくはそれ以上に問われる。技術の習得には時間と努力が必要だろうが、意識向上は思い立った今この瞬間にも可能だ。

 ひとつ極端な例を挙げよう。技量は申し分ない奔放な奏者と、技量はそこそこだが協調性ある奏者。ここはひとつ単純比較していただきたい。どちらがより、オケ奏者として理想だろうか。

 誤解があってはいけないので確認しておく。

 技量と意識はバイクの前輪と後輪のようなものだ。どちらが重要か?という議論は馬鹿げている。もとよりどちらが欠けても走れない。ただ言いたいのは、技量に劣る初心者あがりの奏者であっても、立派なオケ奏者になることは十分可能だということなのだ。逆に技量に長けた経験者であっても、オーケストラという組織の理想的な一員になれるとは限らない。技量ばかりに目を奪われていてはならない。意識面での充実もまた、欠くべからざる重要な資質と肝に銘じたいものである。

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