2015/09/13

”あの席”に座ることについて

 
 
 所属するアンサンブル集団=vioのコンマス選出基準について。
 
 vioはゆるやかな結合体であり、演奏面・運営面ともに義務感めいたものを介在させない伝統があります。しかしながら、音楽中枢である指揮者・コンマスはその限りではありません。毎回の練習の充実をはかり演奏会の成功を目指す上では、音楽中枢をになうこれらのポジションにある者は、その役割上大きな責任を負い、義務を全うする必要がある。それなりの覚悟をもって当たるべきポジションであることに異論はありません。
 
 では、何に対してどのように「覚悟」を持てばいいのか?
 
 誤解のないように、1つだけ強調しておきたいことがあるとすれば、僕個人として考えているのは「覚悟をもつ=上手に弾く」ではないということ。指揮者・コンマス・各トップ、いわゆる「前に出る」「前の席に座る」立場に就く者として、持ち合わせておくべき覚悟とは何なのか?今回のノートのテーマをこれに定め、さまざま考察していきます。
 前述のとおり、vioは技術追求楽団ではありません。毎回の練習あるいは演奏会本番に臨む上で、僕は指揮者としてこれまでただの一度も「上手さ」を求めたことはありません。
 
 なぜか?
 
 僕を含め楽団員全員がアマチュアで、趣味領域のたしなみとして楽器や音楽に親しんでいるに過ぎず、それゆえ現実としてみな楽器を上手に弾けないことを知っているからです。楽団員それぞれに努力を重ね、それぞれに上手くなろうとしていることを知っており、しかしながら結果として上手に弾くことができず忸怩たる思いを抱えていることも知っているからです。
 
 僕は、できないことを無理強いする立場にはありたくないですし、無理強いをしたくもありません。努力を重ねている過程を尊重こそすれ、結果だけに目を当てて切り捨てる楽団にしたくない。だからできないことを無理強いする代わりに、楽団員の自主性に任せ個々のペースで音楽に接近するよう支援します。そして、その一方で、演奏会を開催するに際し、貧乏楽団でありながらお金をかけて上手なエキストラさんを集め、その力をお借りします。
 
 上手になり切れない楽団員であっても、それぞれがそれぞれにできる精一杯の演奏を。端的に言うならば、 vio楽団員は上手に弾けなくていいです。 そうではなく、楽しく弾けばいいです。
指揮者・コンマス・各トップ、重圧のかかる責任大なポジションに就いた者たちは、大変な役割をこなすにあたり、上手に弾けるかどうかなんてことよりも、あの席に座って楽しく弾こうとする覚悟があるか?ないか?…極論すれば、vioのコンマスの資質はただこの1点のみです。
 
 上手に弾かなくてはならない…という覚悟はいりません。重圧に心折れず楽しんで弾く覚悟こそが重要です。
 
 先の15th定演期のコンマス3人体制について、技術的なところで不足があったのも確かですが、個人的にはソコに関し大して問題視もしてなかったし興味もありませんでした。もちろん必要に応じ、全体への影響を考えて指摘を行い改善を促すことはあったかも知れませんが、クリアしなければダメ!的な過酷なハードルを課した覚えはありません。
 
 そんなことよりも、ともあれ1年間あの席に座り続けてくれたこと。かつ悩みやジレンマ等のマイナスを抱えつつも、楽しみながら楽器に音楽に向き合おうとしていたか否か。技術はあるに越したことはないが、僕はほぼそこは見ていなかった、ということです。
 
 そういう意味では15th定演期のコンマス3人体制には、結果満足しています。 僕もまた、violaを弾きたい気持ちもありながら、なんやかやと振り間違いも多々やらかしながら、指揮台の上で終始楽しい音楽の時間を過ごさせてもらいました。大曲チャイコの弦セレを振れたことに非常に満足しています。
 
 「上手かどうかなんてどうでもいい。」
 「心折れずに楽しむ覚悟を決められるか。」
vioでのトップ選びは、 かくありたいと思っています。


P.S.
わかりやすさ重視でデフォルメかなり入ってます。先のお三方とも覚悟と信念を持って臨み、技術面でもしっかりとリーダーシップお取りいただきましたことを追記しておきます(^_−)−☆


 

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