2014/07/20

私的Beethoven考 PART.3「偉大なる壁」



 第3弾。相変わらず、長いです。

 第九に限らず彼の作品の根本には、何かしら熱く語りかけてくる強烈なメッセージが、脈々と底流しているような気がしています。特にハイリゲンシュタットの遺書を書いた田園以降の作品にそれが色濃い。

2014/07/19

私的Beethoven考 PART.2「第九の3楽章に思う」



 さて、続編です。

 前回あれだけこきおろしておいて今さら言うのもなんですが… 。それでもやっぱりBeethovenはスゴイのです!じっくり聴き込んで、じっくり弾き込んで、根気強く接していくと、Mozartのように最初から天才だった人には絶対わからないであろう生身の人間の声、痛み、悲しみ、苦しみ、怒りなんかが、ダイレクトに胸に迫ってきて苦しくなってしまう。それはもう、ものすごいドラマがある。できることなら触れてほしくない心の闇とか、そっとフタをしておきたい気持ちとか、そういうドロドロした個人的な内面を、遠慮なく突っ付いてきてはえぐり出し、すべて表にさらけ出してしまう。時間をかけて彼の作品と付き合っていくと、そういう力がとてつもなく大きいということに気づかされます。

私的Beethoven考 PART.1「その人となりについて」



 この秋とある楽団に誘っていただき、オールLVB作品の演奏会に賛助出演いたします。そこで、彼に寄せる僕なりの思いをシリーズ化して記す暴挙に出ることにしました。例によってめっちゃ長文ですので、暇のあるときにでもぜひ。

2014/07/16

【不真面目の罪】



唐突ですが、ひとつ質問です。自問自答して下さい。答えは誰にも言う必要のない質問ですので、素直に、謙虚に、誠実に、文字通り自問自答して下さい。

【 あなたはオケを、真面目に遊んでいますか?】
【 それとも不真面目にやり過ごしていますか?】

2014/07/11

【練習参画意識について】



7/13(日)、vioの新年度がスタートします。これに先立ち、日頃のTuttiで思うところを記します。自己への戒めの意味も込めて。テーマは、楽団の中の一員として練習に臨むにあたり、どのようなことに留意するのか?について。

2014/06/04

指揮者の役割(あるべき姿)



 僕の基本的思想は、「指揮者は“支配者”ではなく“支援者”である」というもの。言うまでもなく指揮者は音を出しません。客席に背を向けることを許された唯一の者。彼は観客の存在を意識することなく、ただ奏者のためだけにそこに存在します。自ら音を発しないこともあって、シンプルに考えるならば、アンサンブルでつむぎ出される音のよしあしは、最初から最後まですべて奏者のパフォーマンスにかかっています。

2014/05/30

譜面絶対主義の光と影

 

 「譜面に書いてあることを忠実に再現し、譜面に書いていないことはしない」…なるほど確かにそうですね。作曲家からの唯一無二のメッセージである譜面に忠実な演奏を心がけることは、音楽創りの基本中の基本であり、根幹を成す部分でもあります。アンサンブルの入口として、避けて通るこのできない確実な方向性であることに疑念の余地はありません。

2012/09/29

【音楽を表現する力】



音楽を表現する力。…大別すれば、それは「感性」と「技術」。この2つの要素を高いレベルで備えていることが理想とされます。バイクで言えば前輪と後輪のようなもので、いずれか1つが欠けても走れない。 …と、ここであらためて疑問。

本当に走れないのか?

2012/09/27

【vio】Bird Eye~音楽を俯瞰する

音楽演奏上のポイントの1つとして、譜面をBird Eyeで広く俯瞰するということについて。

2012/09/01

【弾けないことは罪ではない】



僕が現在所属しているアマチュア弦楽合奏団“アンサンブルvio神戸”での経験談を。
vioでの練習に限らず、初心者からはじめて間もない者や大人になってから楽器を手にした者たちが、引け目を感じつつ隠れるように合奏に加わっている光景を見かけることがある。そのたび僕は、とても悲しくなる。ゆがめられたアマチュア奏者間の人間模様に、遣る瀬ない気持ちを禁じえない。


弾けないことは罪なのだろうか?
…否、断じて違う!